3月の本戦大会を前に、
個人賞の発表がありました。
大会サイトは →
こちら
この大会、わたしは好きです。
弟1回開催は2001年のこと。
当時、「○○甲子園」というのが流行ってたのでしょう。
古いものだと「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のダンス甲子園を思い出しますが、
文系○○甲子園が流行ったのが、ちょうど2000年頃。
参考 →
甲子園の名がつく高校生大会一覧
はんが甲子園は、雨後のタケノコよろしく全国文系○○甲子園のひとつとして誕生しました。
佐渡では、よくあることです。
ワイドショー好きの議員さんが、
「××町では、こういう取り組みをしている。わが町でもやる考えはないか」
などと宣い、
じゃあ、予算を付けてやりましょうかなんて言ってる間に、
ブームは過ぎて見向きもされない。
佐渡では、よくあることです。
そんなイベントが、いくつあったか分かりませんが、
はんが甲子園は、続いています。
高校生3人が、寝る間も惜しんで彫って彫って彫りまくる3日間。
制作の様子を見学したり、写真で見たりすると、
静かながらも、それぞれのドラマが垣間見えます。
最後まで見てたら、感動して泣いてしまうんじゃないかと思います。
高専ロボコン → ロボコン
全国高校生俳句甲子園大会 → 恋は五・七・五!
書道パフォーマンス甲子園 → 書道ガールズ!!-わたしたちの甲子園-
はんが甲子園も、映画になりませんか。
〜過疎化で生徒数が減り、廃校の話が持ち上がった新潟県立佐渡△△高等学校。
進学校でもなく、運動部も毎回地区予選敗退。
隣の□□高等学校は、野球部の成長目覚ましく21世紀枠で甲子園出場が決定し、
その差は開くばかり。
「もう、どーもこーもならん。廃校になるばっけぇだえ〜」
生徒も先生も、地元の人たちも諦めかけていたとき、
校長がポツリと一言、
「うちにも、甲子園に出るような部があればなぁ・・・」
思い出の学校をつぶしたくない教師A(長澤まさみ希望)が立ち上がります。
「うちにも、甲子園に出る部があります!全国優勝したら、廃校取り消しを考えてもらえますか!?」
校長は、優勝したら教育委員会にかけあってみるとの返事。
そこで立ち上がったのは、弱小版画部、顧問は教師A。
学校存続をかけて、強豪渦巻く「はんが甲子園」へ出場するのであった・・・
なりませんか?